2016/09/25

パロネラパークの意外な歴史とは?実際にツアーに参加した様子も報告

パロネラパークは、ケアンズの南約130kmにあります。ホゼ・パロネラが1935年に建てた城や植えた木が残されたものです。

「天空の城ラピュタ」のモデル、といううわさもあります。

度重なる災害もあって、傷んだり、苔むしたりしている部分も多いですが、それがかえって風情があり、こんなうわさがあるのかもしれません。

パロネラパークへは、吊り橋を渡るようになっています。
ホセは7000本以上の木々を植えたそうですが、本当にたくさんの木があるので、森に囲まれた城とも、森に埋もれた城とも言えそうです。
城内のどこからも滝がみられるつくりになっています。
比較的保存状態のいい軽食堂跡です。噴水もあります。
庭園内には、松の並木道もありますし、それ以外にも、多くの木々があります。
最初の建築物はこの大階段で、コンクリ―ト用の川砂を運ぶのに使いました。
夜になるとライトアップされ、滝や城内が、また違った雰囲気になってすてきです。
当時すでにこの滝を利用した水力発電をしていたそうです。すごいですね!

その後災害で使えなくなっていたのですが、2009年11月に修復され、1930年代のオリジナルの姿に戻りました。

45万ドルのコストをかけ、再びパークのすべての電力が供給されるようになりました。

軽食堂跡もライトアップされていました。
パロネラパークは想像以上に広く、よくこんなのを個人で建設したなぁと驚いてしまいます。
パロネラパークの歴史を紹介すると…。

完成させたのは、スペインのカタルーニャ出身ホゼ・パロネラ(Jose Paronella)。

ずっと自分の城を夢見てきた彼は、1913年、オーストラリアに渡り、さとうきび(sugar cane) を刈る仕事から始め、土地を購入し、さとうきび農場にしてから売るという生活をつづけました。

その後、一度はスペインに戻りますが、新婚旅行で再びオーストラリアに戻ります。1929年に土地を120ポンドで購入しました。

最初の建築物は大階段で、次に住居(石造り)、その次に城がつくられはじめました。

城は、使われなくなった鉄道の線路を利用して強化されたコンクリートでつくられ、パークは1935年には公式にオープンしました。

シアターでは毎土曜の夜に映画が上映され、椅子を片付けて、ダンスパーティーもここでおこなわれました。

Myrial reflectorという、1270の小さな鏡でおおわれた大きなボールが天井からつるされていました。ピンクやブルーのスポットライトを当てると、壁や床や天井に色のついた雪を映し出す装置です。(現代のミラーボールのような感じですね)

1960年代半ばには、ホールは特にウエディング会場としても使われていました。

現在、ここでウエディングの撮影を希望するカップルはプランもたててくれるそうで、公式サイトに紹介されています。

カフェ、スイミングプール、パロネラミュージアム(コインやピストル、人形のコレクションなど)、子供の遊び場、2つのテニスコートなどがあり、多くの人でにぎわっていたそうです。

また、7000本以上の木がホゼにより植えられたそうです。

しかし、その後1946年に大雨で流された木々でパークが破壊され、一部を修復した後、1948年にホゼは病気で他界。

子孫に引き継がれますが、やがて売却され、その後の火災、台風などで廃墟化してしまいます。

1993年にオーナーとなったマーク&ジュディ・エヴァンス 夫妻は、再建というよりは、アート作品としてここを維持するつもりだそうです。

パークはクイーンズランド州の観光賞,重要歴史文化財も受賞しました。

パロネラパークの歴史については、公式サイトparonellapark.com.au(日本語版・英語版)の情報を参考にさせていただきました。

Cocoruuたちが参加した現地発着日本語ツアーでは、火起こし体験がありました。
火起こしは、みんなで交代しましたが、少し熱くなっただけでした。なかなか難しいです。

ブーメランペインティンコースを選んだ場合は、ブーメランに自由にペインティングが出来、お持ち帰りできます。
レストランでのビュッフェ形式の食事もついていて、とってもおいしかったです。

パロネラパークを訪れるツアーは、各社から出ていますので、お好みのものに参加されると楽しめますよ!

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