2017/01/30

王家の谷-歴代のエジプト王たちが眠っていた空間

エジプトルクソール西岸から約6kmところにある王家の谷。この谷間に王たちの墓があります。古代エジプトでは、西岸は死者が暮らす場所、という考え方があったといわれます。
上空からみると、まるでアリの巣のように、それぞれの墓が谷間からのびています。

60以上の墓が発見されていますが、見学できるのは十数か所です。

実際に入ったお墓を紹介すると…。

・ツタンカーメンの墓

ツタンカーメンの墓は、規模としてはかなり小さいのですが、ほぼ盗掘を受けていなかったため、数々の副葬品が発見されました。

内部の写真撮影は禁止なのですが、看板の2枚の写真で発掘の様子、壁画、お墓の内部がなんとなくわかるでしょうか。
お墓はいくつかのブロックに分かれていて、発見された当初は以下のようなものがありました。(現在はエジプト考古学博物館やルクソール博物館などに保管されています。)

玄室:

金箔が貼られた4つの巨大な厨子(観音開きの扉の付いた物入れ)があり、その中に石棺が入っていました。石棺には、ツタンカーメンのミイラが豪華な3重の人型棺(以下の入場券写真)に入れられた状態で見つかりました。
写真は木造に金箔が貼られたものだったと思いますが、一番内側の人型棺は、なんと純金製なんです。すごいですね。

宝物の間:

カノプス壺(遺体から取り出した内臓を処理後に入れる壺、胃・肺・肝臓・腸用の4種類)の入った黄金のカノプスの厨子、それを守るアヌビス神の像などがありました。

控えの間:

儀式用寝台、黄金の玉座や、分解された戦車、カーの立像などが発見されています。

それ以外の間:

金箔やガラス、準貴石などで象眼された黒檀の玉座などがありました。

若き少年王の副葬品がこの豪華さなのですから、歴代の王の副葬品はいったいどんなだったのか、想像もつかないですね。

ツタンカーメン王の名は、神殿や葬祭殿にある歴代の王の中には記されていませんでした。(当時の宗教改革に関連した王の名は書かれていないため)

しかし、その存在の可能性を信じた美術館館長と、発掘者ハワード・カーターにより、発見されたのです。なんと、発掘用の小屋が建っていた下を調べると、地下への階段が見つかったそうです。まさに灯台下暗しですね。

カーターはただ財宝を掘り起こすのとは違い、調査や記録を緻密に行いました。それが後に、学術的にも美術史上にも重要な意味をもってきます。

ツタンカーメン(トゥト・アンク・アメン)はBC1400年ごろに9歳でファラオとして即位し、18歳に亡くなりました。彼が9歳という若さで即位したのは、当時の宗教改革で悪化した国の情勢を、立て直そうとした周囲に利用されたためだと言われています。

彼の死因については、諸説あります。最近の研究では、マラリア病原菌が発見されたことと足などのケガから、マラリア疾患と骨折とする説があります。

また、テレビで報道されたミイラのCTスキャンによる最新研究では、ケガの状態やカノプス壺(内臓を防腐処理後、保管する壺)に重要な内臓の一部がないことなどから、戦車にひかれたのではないかという説もあります。

・ラムセス6世の墓

今回入った5つの墓の中で、もっとも美しく、大きな墓だったのが、このラムセス6世の墓です。玄室内部の壁画もはがれている部分があまりなく、一番きれいに残っていて、彩色も美しかったです。

この天井の中央部には女神ヌトが描かれています。また、玄室に向かう通路の柱や天井にも、美しい壁画が残されています。
写真が撮れなくて残念ですが、入場券に載っている奥の壁と天井の壁画の写真でちょっと感じがつかめるでしょうか。

・ラスセス1世、4世、9世

一般的には、このラムセス1世や9世の墓の案内看板のように、入り口を入ると、スロープ(一部階段がある場合もあり)が続いていて、降りて行くようになっています。
降りて行くとその先に玄室(石棺のある部屋)があります。手前に前室があるお墓もあります。

玄室に壁画が残っている墓は多いですし、途中のスロープや前室に美しい壁画が残っている場合もあります。

入り口はこのような感じです。係の人が座っている場合もあります。
Cocoruuはパックツアーで参加しましたが、ビジターセンター~王家の谷入り口は、ミニ列車があるので利用すると便利です。
ここまでの写真でもわかるとおり、王家の谷は、岩山と石と砂の世界で、砂ぼこりが結構すごいです。またCocoruuは冬に行ったのですが、夏の暑さは厳しいと思います。飲み物、日焼け対策をお忘れなく。

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